旅の記録岐阜県中部地方

2020年、城初め。一泊二日美濃盗りの旅。一日目Part1~岐阜城下編~

旅の記録

謹賀新年。遅くなったが、本年も何卒よろしく頼み申す。
ということで今回は、2020年1月11日(土)、12日(日)の行軍過程をお伝えする。
2020年の城初めは岐阜に決定。
今年の大河ドラマ、「麒麟がくる」に便乗し美濃を切り取る。

今回は青春18きっぷも終わってしまったので、米原までは格安きっぷを使用。
米原からは、JR東海の青空フリーパス(一日2,620円)を利用。
これで乗り降り自由である。
今回の旅は名鉄やバスも使うが、なんとか元を取れているはずである。

旅のしおり

【訪問日】2020年1月11日(土)

【ルート】
5:24 六甲道
↓ 京都行
5:53 大阪
5:55
↓ 快速・長浜行
7:42 米原 (JR東海の窓口で青空フリーパスを購入)
8:04

8:36 大垣
8:40
↓ 特別快速・豊橋行
8:53 岐阜
★金神社
★伊奈波神社
★正法寺(岐阜大仏)
★岐阜城

12:30くらい? バス停(岐阜市歴史博物館前)
↓ 岐阜バス(200円)
12:50くらい? 岐阜駅前
13:15 岐阜
↓ JR高山本線・飛騨古川行
13:52 美濃太田
14:01
↓ JR太多線・多治見行
14:08 可児
14:14 新可児
↓ 名鉄広見線・御嵩(みたけ)行(230円)
14:18 明智(名鉄線)
★美濃金山城

16:31 元兼山町役場前
↓ YAOバス(250円)
16:45 明智駅
名鉄明智駅~新鵜沼駅(510円)
|  17:06 明智(名鉄線)
|   ↓ 名鉄広見線
|  17:10 新可児
|  17:14
|   ↓ 名鉄広見線・中部国際空港行
|  17:34 犬山
|  17:40
|   ↓ 名鉄犬山線急行・名鉄岐阜行
|  17:43 新鵜沼
★犬山城と月の撮影

名鉄鵜沼宿駅~新鵜沼駅(170円)
|  18:58 鵜沼宿
|   ↓ 名鉄各務原線・犬山行
|  18:59 新鵜沼
19:13 鵜沼
↓ JR高山本線-太多線
20:06 多治見
★多治見トロン温泉・天の湯(閉館)
22:05 多治見
↓ JR中央本線快速・中津川行
22:32 恵那

【本日の宿】シティホテル ミチ

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城攻めは駅から徒歩で向かふ

久々の始発電車×城攻めである。
本日は満月のようだ。夜更けの丸い月が拙者を見送ってくれる。

「御武運を。」

ふと、満月とお城という構図を写真におさめたく思う。
予定変更は得意分野。今回の旅は思わぬ予定変更が多々ある。
これぞ旅である。

大垣ダッシュも乗り越え、無事に予定通り岐阜駅に到着。
駅前では金色に輝く織田信長殿がお出迎え。

コカ・コーラは素晴らしい場所に広告を出したもんだ。

朝が早いと腹は減る。
岐阜駅で買った飛騨むすびをほうばりながら、岐阜城まで約3.5kmの道のりを歩く。
城を攻め落とすには、城下町の様子を第一に探ることが重要である。
まずは金神社(こがねじんじゃ)で、金運招福を祈る。

見よ、この黄金色に輝く鳥居を。

金神社。今年はお金と縁がありますように。
金と食料がなければ戦はできないのである。

そんな金神社を後にし、さらに岐阜城下を歩く。
城下町と商店街はセット感が強い気がする。
だが、この町の商店街は少しお洒落である。

ここは金神社から北西へ向かって歩いた場所にある。
劇場通商店街というのか。
赤絨毯がこれまた趣がある。
他にもレトロな空間が広がる場所は多くあるそうだ。
時間があれば放浪してみるのもよいだろう。

そうそう。やはり気になるのはマンホールだろう。
残念ながらマンホールカードはなかったが、岐阜市は鵜飼をモチーフとしたマンホールだ。
鵜飼に関する情報はこちらのページを見るのが良いだろう。
どうやら鵜飼の歴史は古墳時代からあるそうだ。
魅せる鵜飼は信長殿が取り入れたそうである。
江戸時代初期には鵜飼でとった鮎を使った鮨が家康殿や秀忠殿の気に入るところとなったようで、
鮎鮨の江戸への献上ルートができたようだ。
この献上ルートは「御鮨街道」と呼ばれているらしい。
このように新たな知見を得ることができるのも、徒歩ならではの楽しみだろう。

さて、次に向かうは伊奈波神社である。

こちらは有名なパワースポットなそうで、かの斎藤道三殿が稲葉山を居城とする際にこの地に移したとか。
門や拝殿はなかなか美しい。

ここは確か手水舎の手前から撮った。
手前の橋が神橋。奥に見えるのが楼門というらしい。
年明けの土曜日ということもあり、人も多かった。
本殿まで上がると山も近く空気が澄み切っている。
今回の城攻めの戦勝祈願をし、次の目的地へ向かう。

こちらは岐阜大仏が祀られている正法寺。
岐阜大仏は、鎌倉の大仏、奈良の大仏と並ぶ、日本三大大仏のひとつらしい。
高岡の大仏と、この岐阜の大仏が三大大仏の一枠を争っているらしいが…。
どちらも良いお顔をされている。

とても穏やかな顔である。左手は膝の上に。これはまた奈良の大仏とまた違うところ。
像高は13.63mもあるそうだが、少し猫背ぎみというか首を曲げており、顔がうつむき加減である。
人も少なく、心静かにお参りできた。
こちらの大仏は天保3年(1832年)に完成したそうだ。なんと38年もかけて建立されたようだ。
そりゃあそうか。

岐阜城へは文明の利器を使って攻める

岐阜城下町は非常に見どころ満載である。
やっと岐阜城下に到着である。
ここまでおよそ1時間半。10時半くらいに到着。
歩いて攻めることも考えたが、以降の城攻めを考慮するとさすがにロープウェーを使う。
ロープウェーは15分間隔で運転しており、約4分で山頂付近まで連れて行ってくれる。

こちらはロープウェーの降り口から少し歩いたところから撮った岐阜城。
織田家の家紋である織田木瓜紋と、斎藤道三殿の家紋である二頭立波紋が記された看板も立っている。
木々に縁どられた岐阜城が見える良い写真スポットなのかもしれない。
壁の狭間も雰囲気を出している。

どうも斎藤道三殿は一代で国を盗ったというよりも、親子二代で国を盗った説が有力だそうだ。
司馬遼太郎氏の「国盗り物語」や、宮本昌孝氏の「ふたり道三」は斎藤道三殿を描いている。
国盗り物語は相当前に読んだが、非常に面白かった。
この物語では、一代で美濃を盗っていたはずだ。
一方で、ふたり道三はちょうど岐阜攻めの時期に読んでいた。
だから岐阜に訪れることになったのだが…。
ふたり道三は、二代で国を盗る。
これはまた面白いが、登場人物がすぐに死んでしまったり、少し都合が良すぎるのが少し物足りなさを感じた。

さて、天守を本格的に攻める前に腹ごしらえである。

お昼はこちら。金華山展望レストラン ル・ポン・ドゥ・シェルにて「信長どて丼」である。
金華山からの壮大な景色を眺めながらの食事ができる。
高山らーめんや飛騨牛ハンバーグも食べることができる。
本日はこれ。どて丼。豚ホルモンと牛すじの味噌煮込み。非常に美味である。
歩き疲れると、濃い味のものが食べたくなる。
この後の城攻めがなければ、冷えたビールともよく合うだろうに。

展望レストラン ル・ポン・ドゥ・シェル – 田神/食堂 | 食べログ (tabelog.com)

腹は満たされた。いよいよ城を攻める。

天守に近づく。写真に指が映っているのはお見苦しいがご勘弁願いたい。
天守の左下の緑の柵で覆われた場所は、信長殿時代の石垣が見つかった場所らしい。
ちょうど2020年1月14日~18日まで限定公開されているとのニュースがやっていた。
そうか、11日は奥まで見れなかったのね。

しかし、岐阜城。石垣は立派である。
全体的に比較的小さな石で構成されているのが、この城の石垣の特徴か?
天然の岩石は主にチャートから成るようで、チャートの層が褶曲したような場所も見られる。
天然の地形や岩石と石垣の組み合わせは、山城の見どころだと思っている。

この写真は天守からの景色ではないが、展望レストランの屋上から撮ったものだ。
岐阜城天守からも同じように長良川を眺めることができる。
この景色をみて信長殿が「天下を手中に治めた」と感じたのは間違いないだろう。

山頂のロープウェー乗り場には、リス村もあるので子供も楽しめるだろう。
今回は時間がなかったのでパスした。

麓のロープウェー乗り場付近は、信長殿の居館跡の地形が復元されている。
しっかり整備されているから、想像力を働かせて見学すると面白い。
詳しいことは、織田信長公居館跡発掘調査ホームページに書かれているのでこちらをどうぞ。

時間がないので、岐阜市歴史博物館の前からバスに乗って岐阜に向かう。
途中大河ドラマ館もあり、岐阜城下は賑わっている。
ちょうど帰り道に岐阜城盛り上げ隊の武将様達と遭遇。
他の人が写真撮っていたので、撮影させていただいた。

真ん中が斎藤道三殿なのはわかった右側はその嫡子斎藤義龍殿か。
左側は明智光秀殿か?奥の愉快な殿方は誰かわからん。
自転車で横を通った女子高生も「あれって斎藤道三じゃね?」みたいな会話をしていたのに平和を感じた。

バスで岐阜駅まで行き、次の目的地へ向かう。

〈一日目Part2へつづく〉

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