和歌山県旅の記録近畿地方

美しい緑色片岩の野面積み!紀州徳川家の和歌山城を攻める!~和歌山1泊2日電車旅2日目~

和歌山県

どうも、島左近です。

2024年6月2日(日)~3日(月)の和歌山1泊2日電車旅2日目をお届け。
2日目は、和歌山駅近くのドーミーインから歩いて和歌山城を城攻め。
夕方から仕事のため、午前中だけの観光(所要時間約2時間)ではあるが十分。
時代によって異なる積み方の石垣、美しい連立式天守、癒しの空間西の丸庭園を満喫。
久々の和歌山城攻め!いざ、出陣!

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旅のしおり

訪問日:2024年6月3日(月)

9:17 紀州の湯 ドーミーインPREMIUM和歌山
↓(約1.3km)
9:40~11:40
★和歌山城
★紅葉渓庭園(西の丸庭園)
★わかやま歴史館(マンホールカード)
★ポケふた


11:45~12:06
★まる万ラーメン
↓(約800m)
12:21 和歌山市駅
12:30 和歌山市
↓ 南海特急サザン28号・難波行
13:26 新今宮
13:39
↓ JR大和路快速・天王寺行
13:52 大阪

和歌山城攻め決行!

ドーミーインの朝食バイキングでエネルギー充填。
ドーミーインは朝からご当地の料理を食べることができるのが売り。
和歌山のドーミーインは、しらす丼!
大満足!

9:40
ホテルから歩いて約20分、和歌山城大手門に到着。

大手門から攻城開始。
関ケ原合戦後入城なされた浅野幸長殿は、岡口門を大手門として使用。
その後、浅野期途中からこちらが大手門と使用されたらしい。

和歌山城には、時代による石垣の積み方が異なる場所が多くみられる。
まずは大手門から入城して、右側に見える石垣は打ち込みハギの石垣。
打ち込みハギは、石材の表面を粗く加工して積み上げた石垣で、すき間には間詰石が詰められているのが特徴。

先に進むと一中門跡(奥)の石垣が残っている。
こちらは、熊野の花崗斑岩が使われた徳川期の切り込みハギの石垣がみられる。
切り込みハギとは、精密に加工して隙間なく積み上げた石垣。

ちなみに花崗岩は、主に長石、石英、10%以下の有色鉱物からなり、大きな結晶がすき間なく詰まっているつくり(いわゆる等粒状組織)をもつ深成岩のことをさす。
花崗斑岩は、花崗岩と違い、大きな結晶とその周りの小さい結晶からなるつくりをもつ半深成岩のことをさす。
熊野の花崗斑岩といえば、那智の滝の岩盤をつくっている岩石と同じものである。
長くなるので、詳しくはまた別の機会に説明することにする。

一中門跡を抜け左側のトイレに向かう途中に発見!こんなところにカラーマンホール。
紀州てまりが描かれている。
このマンホールカードは後にわかやま歴史館で入手することになる。

伏虎像。天守が建つ場所は、虎が伏せているように見えることから虎伏山と呼ばれている。
1585年(天正13年)、紀州を平定した太閤殿下は、弟の秀長様に命じてこの地に城を築かせたことが和歌山城の始まりである。
といっても秀長様は大和郡山城に移り、家臣の桑山重晴殿が和歌山城城代となったのである。
また、築城を担当したのは藤堂高虎殿だと伝えられている。

伏虎像の後ろ側の結晶片岩を用いた野面積み。
秀長様の時代の石垣だと思われる。
野面積みは、自然石をほとんど加工せずに積み上げた石垣のことである。
結晶片岩とは、薄くはがれやすい構造をもつ結晶質の変成岩のことで、この構造は構成鉱物が一定の方向に配列しているためである。
鉱物が一定方向に配列するのは、プレートの沈み込みに伴い高い圧力を受けたことが原因である。

少し陰になっているのと、表面に苔が生えていてわかり辛いが、石垣が緑っぽくみえる(写真ではわかり辛いが…)。
和歌山城で使われている結晶片岩は、緑色の鉱物である緑泥石が多く含まれる緑色片岩で紀州青石と呼ばれる岩石である。
この和歌山城が建つ虎伏山自体が緑色片岩の岩山でもあり、周辺の雑賀崎などから砕石された緑色片岩を使っている。

緑色片岩は、主に玄武岩などのシリカの低い火成岩が低温高圧条件下で変成してできる。
海洋プレートの沈み込みに伴い、海洋プレート上の堆積物がはぎとられ、大陸側に付け加えられたものを付加体という。
ちょうど和歌山城周辺は、三波川変成帯と名付けられた付加体が岩盤となっているのである。
そのため、和歌山城周辺で緑色片岩が産出するのである。

一般によくみる石垣よりも一つ一つの積石が薄いのは、緑色片岩の薄くはがれやすい構造をもつという特徴があるからである。
紀州青石の美しさに注目したのは、秀長様なのか、それとも築城を担当した藤堂高虎殿なのか?

続いて松の丸跡に続く表坂を攻める。

和歌山城の現代の忍者は、歩行困難な方をサポートしてくれるらしい。
これは素晴らしい取り組みである。

岡口門を望遠撮影。
関ケ原の戦いの後に入城した浅野幸長殿によって、大手門として創建された江戸時代初期の門。
国の重要文化財に指定されている。

松の丸跡を通って天守に向かう。
右側の石垣は草で覆われて残念な感じになっていた。

階段を上がりまっすぐ行くと本丸跡、左に向かうと天守。

入城料410円を払い、いよいよ天守内へ。
天守の石垣は和歌山城内で最も古い石垣と考えられている。
こちらも結晶片岩による野面積みで転用石も一部みられるらしい。

天守二の門(左)と二の門櫓(右)。

小天守(左)と大天守(右)。
和歌山城天守は、大天守と小天守と2つの櫓を多門櫓によってつなげた連立式天守で浅野殿の時代に建てられた。
姫路城(兵庫県)や松山城(愛媛県)もこのタイプの天守をもつ。

中は資料館になっている。
これは大天守からの眺め。乾櫓と二の門櫓、その奥に紀ノ川の河口が見える。
実に美しい。

城を出て、大天守を撮影。
残念ながら落雷や第二次世界大戦の空襲で天守は2度焼失。
現在の姿は、1958年(昭和33年)に再建された3代目の天守である。

大天守と二の門櫓を一緒に。
1619年(元和5年)には、徳川家康殿の10男徳川頼宣殿が和歌山城に入城し紀州徳川家が成立。
以後、紀州徳川家が紀州藩主として和歌山城主となり、江戸幕府8代将軍吉宗殿、14代将軍家茂殿は紀州徳川家から輩出されている。

二の門櫓と乾櫓。この景色だけでも白飯が食える。

天守すぐ横のお天守茶屋の顔出しパネル。
実にセンスのある顔出しパネル。安易に武将じゃないところが良い。

天守を後にし、本丸跡に移動。
ここからの角度が、美しい大天守を収めるのに良い撮影スポット。

帰りは裏坂、御橋廊下を通り、徳川頼宣殿が西の丸御殿に築いた西の丸庭園(紅葉渓庭園)に向かう。
鳶魚閣(えんぎょかく)という建物が、良い味をだしている。

美しい庭園。緑の紅葉も綺麗。
秋に来ると真っ赤に染まった姿がみられるだろう。

鳶魚閣と御橋廊下。
御橋廊下は二の丸と西の丸を結ぶ橋で、かつては藩主と付き人だけしか通れなかったらしい。

青空も映りこんで美しい姿を見せてくれる。
月曜の午前中だからだろうか?人も少なく静かな空間で非常に癒された。
おそらく以前和歌山城を攻めた際にも来ているはずだが、こんな素敵な空間があることは記憶にない。

観光バス駐車場に設置された顔出しパネル。
これまたセンスが光る。

最大4人で撮れる顔出しパネルも発見。
和歌山城、素晴らしいぜ!

わかやま歴史館の壁と自販機に忍者を発見。

天守の半券で入れるわかやま歴史館。
マンホールカードもこちらで入手できる。

西の丸から眺める和歌山城天守。美しいぜ。
これにて城攻め完了!

ポケふたと和歌山ラーメン

西の丸跡の向かい、市役所の前に設置されているポケモンマンホール(ポケふた)。
アシレーヌとレントラーが描かれている。

11:45
ポケふたから歩いてすぐの、まる万ラーメン/九番丁店に到着。
ちょうど昼前だったので並ばずに入店できた。

白とんこつラーメン(700円)を注文。食券を最初に買うタイプのお店である。
いわゆる和歌山中華そばではないが、美味い豚骨ラーメンである。
生姜を入れて食べると美味しいらしいが、うっかり入れ忘れてしまった。
実に美味であった。

まる万ラーメン 九番丁店 – 和歌山市/ラーメン | 食べログ (tabelog.com)

時間があれば、和歌山ラーメン巡りとかもしたいものである。
和歌山市観光協会 公式HP|食べる:和歌山中華そば・ラーメン (wakayamakanko.com)

12:21
食後、歩いて約15分で南海和歌山市駅に到着。
仕事があるので帰路につく。

マンホールカードとマンホールの撮影。
めっちゃ反射してしまった。

〈おわり〉

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