旅の記録京都府近畿地方

京都魔界巡り2019 Part1《崇道神社》

旅の記録

どうも、島左近です。

今回は2019年11月16日の京都魔界巡り。
知り合いに京都魔界巡りなるものを教えてもらい本を購入。
ちょうど紅葉の季節だったので、それも楽しみで久々の京都日帰り一人旅。

今回訪問した京都魔界の地

★崇道神社
★鞍馬寺
★貴船神社
★六道珍皇寺
★六道の辻
★高台寺

京都魔界巡りとは

京都魔界巡りとは何か?
これは日本の歴史を振り返るとみえてくる。
少し長くなるが、背景が見えてこれば京都魔界巡りの満喫度は確実に上がるだろう。

桓武天皇と怨霊の祟り

784年(延暦3年)。平安京遷都の10年前のことである。
桓武天皇は都を奈良の平城京から長岡京に移した。
長岡京遷都は長年の研究から次のようないくつかの理由が考えられているそうだ。

(1)財政難の政府が秦氏(はたし:有力な渡来系氏族)の財力を頼りその本拠地に遷都した
(2)平城京の僧侶の跋扈(ばっこ:ほしいままに振る舞うこと)など多年の弊害のたまる平城京を去った
(3)長岡の地は水陸の交通の便が良い
(4)平城京は天武系天皇の宮処であったため、桓武は天智系新王朝の新都として長岡京を建てた
(5)緊急財政政策で、副都としての難波宮を排して都を一つにまとめようとした

桓武天皇 造都と征夷を宿命づけられた帝王 (日本史リブレット)西本昌弘より引用

理由はなんにせよ、事実桓武天皇は新たな都を長岡の地に築いた。
新都の造営は、桓武天皇が都に移った後も続いた。

785年(延暦4年)。事件は起こった。
この年のある日、桓武天皇は旧都平城へ行幸した。
天皇不在中、長岡京遷都の責任者である中納言藤原種継らが長岡京を守っていたが、不幸にも造営監督中に矢で射られるという事件が起こった。
これが藤原種継暗殺事件である。

暗殺犯は、数十名が捕縛、斬首となった。
万葉集編纂で有名な大伴家持は、事件の1か月ほど前に亡くなっていたのにも関わらず、事件の首謀者として官籍(太政官にある官吏の名簿)から除名された。

その嫌疑は皇太子早良親王(さわらしんのう)にも向けられた。
大伴家持は早良親王の春宮大夫(皇太子の御所の内政を掌った機関のトップ?)であり、早良親王も事件に関わっていたとして乙訓寺(おとくにでら)に幽閉された。
実際に関与していたかどうかは不明だそうだ。

早良親王は自ら飲食を断ち無罪を訴え続けた。
そして淡路に船で運ばれる途中に絶命した。

早良親王の死後、桓武天皇の周囲には多くの不幸が訪れた。

788年   桓武天皇夫人の藤原旅子が死去
789年   桓武天皇生母の高野新笠が崩御
790年   皇后の藤原乙牟漏が崩御
790年   早良親王を排除して立太子した安殿親王が発病
790年秋冬 京機内で天然痘の流行
792年   長岡京周辺での集中豪雨による洪水

こうした立て続きに起こる不幸は「早良親王の怨霊の祟り」と考えられた。

794年、桓武天皇は長岡京を放棄し、平安京に遷都することになった。

早良親王の祟りを恐れた桓武天皇は、800年、早良親王を崇道天皇と追称し、陰陽師や僧を派遣し陳謝させた上で墓守をおいた。
さらに805年には、親王の遺骸を淡路島から大和国に移葬させた。
そして、早良親王はもとより、藤原種継暗殺事件に関与した刑死者の名誉を回復させ、事件の連座者を京に呼び戻した。

806年、桓武天皇はその生涯を閉じた。
死の直前まで早良親王の怨霊の祟りを恐れ続けたのであった。(続く)

崇道神社

11月の気持ちの良い朝である。
天気は良好。
出町柳駅から叡山電鉄に乗り約10分、三宅八幡駅に向かう。

最初に向かった地は、崇道神社。「すどうじんじゃ」と読む。
駅からは約10分くらい歩いた場所にある。

朝早かったため、人は誰もおらずゆったりとお参りができた。

崇道神社は、京の鬼門に859年~877年に創建された。
伊多太神社、出雲高野神社、小野神社の3社が合祀されている。

厳かな雰囲気である。

こちらは境内社の伊多太神社。
境内には、遣隋使小野妹子で有名な小野一族を祀る小野神社もある。(写真は撮り忘れた)

背後の山々のエネルギーが感じられる。
早良親王にご挨拶。
事件の真相はわからないし、怨霊も本当だったのかはわからない。
怨霊は、桓武天皇が心の中に残した罪悪感だったのかもしれない。
色々な思いを胸に、京都魔界巡りはスタートした。

帰り道、イチョウとモミジが美しいことに感動を覚えた。
次の目的地は鞍馬寺だ。

【参考文献】

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重ね地図で読み解く京都の「魔界」[小松和彦]

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