旅の記録兵庫県近畿地方

2020年9月チャリ旅 王子公園~三木城編

旅の記録

どうも、島左近です。

世間は4連休。私は久しぶりの3連休。
遠出をしようかとも思ったが、もう少し控えることに。

今回のチャリ旅は、前回のリベンジ!三木城攻め!

【ルート】(走行距離 約104km)
9:40 王子公園駅出発
↓ 約21km
★明石藩舞子台場跡
↓ 約2.5km
11:45~12:10 ★大蔵海岸(昼食)
↓ 約27.5km
15:10~15:25 ★三木城跡
↓ 約0.5km
15:30 ★別所長治公首塚
↓ 約3.9km
16:00 ★竹中半兵衛の墓
↓ 約0.5km
16:05 ★秀吉本陣跡
↓ 約16km
17:45~18:05 ★一蘭 神戸玉津店
↓ 約5.8km
18:40 ★明石城
↓ 約26km
22:00 王子公園駅

リベンジ!三木城攻めへ

少しずつ涼しくなってきた。
そう、絶好のチャリ旅日和である。
しかしまぁ前日の飲みすぎで起床が遅れる。
行くか行かないか迷いながらもベッドから降り準備にかかる。
チャリの空気を入れて出発。もう9:30を過ぎている。

明石海峡大橋が見えて舞子駅を過ぎたところに、明石藩舞子台場跡。
wikipediaによると以下の模様。
勝海舟も関わったようだ。

幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。
工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。
竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端(淡路市)の徳島藩松帆台場跡(国の史跡)と対になって両岸から明石海峡(瀬戸内海と大阪湾をつなぐ海峡)を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』明石藩舞子台場跡

大砲のベンチも発見。
すぐ横はマンションなのであまり観光地的な感じではない。

ちょうど12時前。大蔵海岸にて、コンビニおにぎりと久々のファミチキで腹ごしらえ。
やはり明石海峡大橋は美しい。

途中池に花が咲いていた。なんの花だろう?
ズームで撮ったから少しぶれている。
明石からはしばらく平坦な道が続き、まだ写真を撮る余裕がある。

基本的に明石からは、175号線を北に攻めるのが三木城への最短ルートになる。
直前にグーグルマップでルートを調べていたのだが、上の地図の分岐1で赤のルートでは歩道がなくなるのだ。
さらに若干坂になっており山を越える感じである。
そこで分岐1では、やや東周りのルートで山を回避する。
そして分岐2からはさらに北東へ進みぐるっと周って三木へ向かうことに。
分岐2で西へ進み175号線に進むルートも考えたが、嫌な予感がしたので予定変更をした。

田んぼが黄金色に輝いて美しい。
平坦な道はスイスイ自転車が進む。
景色を楽しむ余裕さえある。

田んぼの畦道の彼岸花も美しい。
景色を楽しみながらも、周囲が山に囲まれつつあることに気づき始める。

神戸電鉄粟生線の押部谷駅付近から緑が丘駅まではだらだらと長い上り坂。
そして住宅街を突っ切り、せっかく上った山道を今度は下る。
帰り道のしんどさを想像して少し気分はブルーに。

ふと足元のマンホールに目をやる。
そうか、知らぬ間に三木市に入っていたのか。
三木市のマンホールは、金物が有名らしく包丁や鋸、槌などが描かれている。
マンホールカードも配布しているらしいが、平日限定らしい。
詳しくはこちらへ(三木市ホームページに飛びます)。
さぁ、三木城まではもうすぐだ。

三木城攻め

だいたい15時くらいだろうか。
ようやく三木城の麓に到着。

こんな看板がお出迎え。
その先のトンネルを抜けるとすぐに階段がある。
拙者はチャリのため商店街を通り抜けぐるりと周って城攻め。

やっと到着!!!!!
三木城は15世紀後半(wikipediaによると1492年前後)、別所則治によって築かれたそうだ。
この城は、1578年から約2年にもわたって亡き太閤殿下が、まだ織田軍の一武将であった頃に兵糧攻めを行っている。

別所長治殿と対面。
この合戦は三木の干殺しと呼ばれており、当主別所長治殿とその一族は腹を切り城兵の命を救ったそうだ。
享年は23。なんと若いことか。

本丸跡の高台には、長治殿の辞世の歌碑が建てられている。

高台からは、偶然にも神戸電鉄の電車が橋の上を通過。

中は見えなかったが、井戸も残っている。
このような場所にごみを捨てる神経がよくわからん。

ちなみに徒歩で城攻めすると、このような地にたどり着く。
本丸の周囲は気持ちばかりの塀があり、矢狭間や鉄砲狭間がついている。
城内は10分もあれば、十分満喫できる広さである。

本丸跡の近くには、金物資料館みき歴史資料館がある。
今回は時間がなかったのでパスした。

本丸から500mほどの雲龍寺には、別所長治公と夫人の首塚がある。
帽子をとってお参り。

平井山ノ上付城跡(秀吉軍本陣跡)と竹中半兵衛殿の墓

三木城本丸から、秀吉軍本陣跡(平井山ノ上付城跡)までは直線距離で約3km。
三木城までは途中川を渡る必要がある。
合戦当時川があったのかはわからないが、城を囲むにしては離れすぎている気もする。
武将が居座る場所としては程よい距離ではあるだろうが。
城と本陣の間には、湯の山街道があるため街道も見張っていたのかもしれない。

まずは、竹中半兵衛殿のお墓参りである。
竹中半兵衛殿は、中国攻めの秀吉軍に従軍し軍師として活躍。
しかしながら、三木城包囲中に病に倒れ陣中で死去した。
享年36歳。
まだまだこれからという時期であっただけに惜しい人物を亡くされた。
病には勝てずか。

なんかぶれてるね。
お墓には大木があり、花も供えられて綺麗な状態である。
半兵衛殿にやっとお会いできた気がする。
拙者も色々なお話を伺いたかったものである。

お墓から500mほどで本陣跡入り口に到着。
付城は整備されており、ぐるりと周ることができる。
今回は時間と体力の都合上城攻めは回避。
もう16時過ぎである。帰路を急ぐことにする。

救いの一蘭。そして明石城を夜襲

帰りは山に囲まれた道をひたすら爆走。
太陽が見えているうちでよかった。
暗かったらきっと怖くて泣いていた。
無事に町の明かりが見える道路まで行きついた。

むむむ!!元祖ソーシャルディスタンスの一蘭ではないか。
お腹が空いたので、半年ぶりのラーメン。

疲れた身体に染み渡るとんこつスープ。
もっと濃くしても良かった。
生き返った。

一蘭から少し進むと昼にお花を撮った池に到着。
夕日で池も赤くなっていて美しい。
さぁ明石はもうすぐだ。

そして夜の明石城へ。
これは坤櫓。
案の定ライトアップされている。
青い光が美しい。見事夜襲成功である。

こちらは巽櫓。奥に見えるのが坤櫓。
石垣も青く染まっていて綺麗。
明石城のライトアップを後にし、帰路につくことに。

遠く明石海峡大橋は虹色に輝いていて綺麗。
夜の海釣りをしている人が多かった。

家に着いたのは22時過ぎ。
疲れたけど良い旅だった。

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